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「 同性愛―どうすれば避けられるだろう 」
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2007.02.21。ある宗教雑誌の記事について。
シリアスな感じで書いてみた。

今日、二人組みの女性が家に来た。
セールスよりももっと厄介な連中だった。チャイムが鳴り、それを鳴らしたのが誰かを確認せずにドアを開けてしまったがためにこんな記事を書く羽目になったわけだが、その二人というのが、いわゆる宗教団体の人たちで、彼らの場合はキリスト教一派の布教活動をしていたらしかった。
「お母様はおられる?」と聖書を片手にした女性が言った。
「いえ、母は今外出中です。当分戻らないと思います」と僕は言った。事実、母は仕事で家を出ていたのでそう答えた。
「そうですか。ところで、坊やは聖書を読むかな?」と女は続けた。
「いいえ。まったく。開いたこともありませんね」と僕は言った。聖書?普通、高校生に聖書と縁などあるとは思えない。でもとにかく僕はその女性の勢いに押されていた。
「これ、無料で配ってるんやけど、もらってくれるかな?」と女は薄い冊子を手にかけたかばんから取り出した。「関心があったら、読んでみて」。僕がそれを受け取ると、二人は笑顔をのこして隣の家へと向かった。
ドアを閉め、鍵をかけてリビングへ戻り、僕はその冊子を眺めた。
『目覚めよ! 2007年2月 宗教の影響力は弱くなっていますか』
やれやれ、あの連中はこんなもの配るために、寒い中コートとセーターを着込んで家々のチャイムを押して回っているのか!正直あきれた。それでも少しの興味が出てきて、女性に言われたようにそれをパラパラと読んでみた。すると、中に強く興味をそそる記事を発見した。

若い人は尋ねる・・・
同性愛―どうすれば避けられるだろう

というタイトルがついた記事だった。「同性愛、どうすれば避けられるだろう」とわざわざ口に出して読んでみた。確かにそういうタイトルだ。
その記事の内容はというと、わざわざ書くまでもないことだけど、僕にとっては不愉快な気分にさせるものだった。それも強く不快にさせる。

日、何でも許容する態度が広まっているため、同性愛とはどういうものかを経験しようとする若者たちがいます。15歳のベッキーは、「わたしの学校では、自分は同性愛者だとか、同性にも関心があるという女の子がたくさんいます」と語ります。・・・・・・(中略)・・・・・・同性愛があまりにも公然と行われているため、次のような疑問が生じるかもしれません。『それは本当に悪いことなのだろうか。同性に引かれるなら、どうしたらいいのだろう。自分は同性愛者なのだろうか』。
そして、この問いに記事は聖書の引用なども用いて、おおよそこう結論付けている。
同性愛者になる要因には、”遺伝かあるいは環境か”という議論がなされているが、実際のところひとつの原因で人が同性愛者になるとは考えにくいし、そう考えるのは短絡的だ。要因はもっと複雑であろう。
原因が何にせよ、聖書が同性愛行為を非としていることを理解するのが重要である。同性愛的な欲望と戦っている人には、達成可能な目標がある。それは、そうした欲望のままに行動しないということである。同性愛は間違った根深い欲望ではあるが、聖書の助言に注意を払うなら克服は可能だ。結局のところ、どんな生き方をするかは自分で決めることができるのだ。同性愛の行いをさけるには、
一、祈ろう。
二、聖書の力は絶大であるから、聖書を毎日読んで思いを霊的に築き上げる事柄で満たそう。
三、ポルノや同性愛を勧めるものは避けよう。
四、何でも打ち明けられる友を見つけ、自分の気持ちを話そう。
最後に、あきらめないことが大事である。誤った欲望が時々生じてもあきらめず、自分が駄目な人間だとは思わないように。抑制を続ければ、やがてその欲望もなくなるであろう。

、とまあそんなところだった。

ツッコミ所は山ほどあったが、今日はそのことについては触れないでおきたい。キリがないから。それよりも、僕はこの記事中に
何度も登場する「誤った欲望」や「間違った欲望」という言葉に対して、動揺した。自分は誤った欲望を抱えて生きているのか!? という戸惑いではなく、平気でこんな言葉を紙面に載せる人たちがいるということに驚いた。しかも、これを書いた人たちは、僕に言わせればまさに確信犯だ。聖書を絶対の真実だと信じている。本当に信じているのだ。結局のところ、この記事は「どうすれば同性愛避けられるだろう」という独断と偏見に満ちた危険なガイダンスでしかない。しかも、なぜ「同性愛が間違った欲望」なのか? という説明が一切なせれておらず、その点については『聖書を参照せよ』とのことだ。
他人がどんな宗教を信仰し、その教えをどう受け止めるか、なんて正直なところどうでもいい話だと思う。ただ、何も考えずに聖書だけを信じて、同性愛者を侮辱するような行為は間違っていると思う。

信じることは、時や場合によっては大切なことだ。でも、自分の頭で考えることはもっと大事なことだと思う。この冊子を読んだ人たちには、同性愛は避けることが可能である、と与えられた「答え」を信じる前に、まずは同性愛について自分なりに考えてほしい。

ところで、チャイムが鳴ったら、ドアは来客が誰かを確認してから開けなくちゃダメだ、と今日は十分に勉強した。
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無題
以前俺のところにもオトコ二人の宗教勧誘が来ました。
PrincessMia 2007.02.25 Sun 13:30 EDIT
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